昭和50年02月12日 荒巻久人先生の葬儀(告別式の次の日、夜の御理解)
昨日の無事終了させて頂いた事の御礼お届けに親教会に出させて貰いました。先生に電話を掛けて、今日の後の事の相談もあろうからと思うて電話を掛けました。丁度もう外出して居りませんでした。ですから渕上先生に電話を掛けました。そしたら今日はまぁだ親戚の方達がおられるから、明日当たりどうでしょうかということでした。でなら私は只葬儀委員長としての御礼だけに今日は参拝させて貰いました。
そしたら丁度朝のお食事でお神酒が出ておるところでしたから、まあさあ座れというので、まあ朝からお神酒を頂いて、あの親奥様と若先生が合楽が見えておるから、北野にも来て頂こうと。それから渕上先生にも、岸先生にも外出先に電話を掛けてから来て貰おうと。そしたら行徳先生が、それがよかばい、私が居る内の方が話しも返って良かろうからというので、それから新たに又岸先生渕上先生電話を掛けて、それから北野にも電話を掛けましたから皆揃いまして、今日は後のもう本当に驚きます。
驚きと言う事はのは何んですけれども、几帳面な事きちっとした事。もう今日あの玉串が七百から来ておりました。玉串料がその全部整理で十人ずつこうやってして水引ですか、それを全部取ってしまってそれを帳面にずっと一時番号を付けて、住所氏名を書いてそしてその整理をさせて貰いました。あれを家当りだったらちゃと中をあけて貰って、そして払う所に払うて下さって、そしてこうでしたよとこうそう言う事は決してないですね。これは絶対教会であるならば、教会長また奥様がお分けになる訳です。
ただそのそれを控えたりするその準備だけが丁度半日掛ました。それで色々なしながら話し合いをさせて貰ったんですけれども、親教会それから御本部それから祭主先生の所の教会。それから祭員の所に出向かれる所の御礼お届け。御本部には誰々が御礼参拝をさせて貰うと言う様な話し合いまで今日はさせて頂いて帰って来たんですけれども、本当にあの見習い聞き習いさせて頂かなければならないなあと思うんですね。
そしてあのお初穂玉串のあれに御玉串と書いてあるのをまあ、玉串料と書いてあるのもありゃ御仏前ち書いてあるともある、上という字だけですましちゃる人もあると言う様に、それを一々北野の先生と鹿児島の先生が説明をして下さった。本当に物知りになりましたよね。大体今末永先生から、玉串料の五十二日祭の玉串料をお供え頂いたのですけれども、料と書くのはねあれは目下のものだそうです。目下の者に送る時には玉串料と書くんだそうです。それからあのただまた普通上の時に御玉串と書くんだそうです。
それから普通の時ただ普通なら玉串だけいいんだそうですね。玉と言う字は御の字にも通じるとイウワケ。そういうもう本当にあの、親先生も詳しいお方でしたけれども、とにかくご姉妹も本当に色んな今日は覚えさせて貰ましたけれども、そんならお礼に行くその大坪さんどげな風にしたなら良かろうかと言われますから、なぁそれは私はそげな事いっちょん分からんですが。
とにかく私は一辺空けてしもうちから、空けたとの例えば何パーセントかというごたる風にしたらどうですかち私が申しましたら、そげな事は全然出来んとですね。例えば一万円あるなら、なら一パーセントが千円なら、千円と大体決まった事ですけれども、御本部は是これ親教会は是これ祭主先生の所では是これと言う様な事でしたが。私は本当に思いますのにですね、人間の運命と言った様なものが、何時もお互い岐路に立っておると思わなければなりませんよ。
信心させて頂くならば尚更の事、いつもよい運命になるかならないかという岐路に立っておるということです。私は今度委員長を勤めさせて頂いて丁度五日間。もう五日間の間に、私はお広前もう行ききりでしたから、もう本当に是が普通ならばいつ席を蹴って、なら私が委員長を辞めればいいのですから辞めましょうと、又はそれにたって腹を立てたり、反発を言うたり、されたり言うたりしておったらですね、もうそこで運命が決まるのです人間の。所がそこでいっちょん触らんでしょう。
おかげを頂いてもう全然触らなかった。そして昨日当たりからどうでしょう。それこそ大反対。それこそ私の側で合楽じゃ勤まらんと言わんばかりの事を言うて居った先生方がですよもうそれこそ、昨日から地を低うされるどころじゃない。今日は鹿児島北野なんかでも、本当にそりゃもうあげん手の平変えるごと言うてから、可笑しはなかろうかと言うごとです。第一私がたまがった事は、私がお供えさせて頂いておる親先生の安楽椅子がありました。座椅子の。
それを奥様がしゃっちあなたは、合楽あなたがここに座りなさいち言わしゃった。どげな事も、そげん私が真ん中座る、親先生の事掛ける訳にいかんから、掛けはしませんでしたけれどもですね。まあ変われば変わるというのが、ならたった一日二日でそげん変わるとですからね。だから人間の運命とか運勢とかと言う物はね、もう日々がそういう岐路に立っておるんだということ。もう例えば不平を言うたらもう変わらん。腹を立てたらもうそこから変わって行きよる。
ならそれを一つも触らないところが有り難い、どんな場合であっても、有り難い有り難いという時に、二日三日四日目からもうその、私を最低のところに置こうとした人達が最高のところに置こうとする運命があるじゃないですか。もう驚くばかりです。私は本当に思うです。例えば同じ花瓶なら花瓶が、壷なら壷があります。この中に例えばお花ならお花を入れれば床の間に置かれます。塩か砂糖を入れたら水屋の隅です。それになら例えば汚いものいれるたん壷でも吐かれたら。
所の隅のほうか庭の隅の暗いところに置かれなければならんのです。問題は内容ですだからその内容がです、なら私共がねもう日々その内容というものに取り組んでです、心に綺麗な花を入れさせて貰う、心に有り難い勿体無いものを中に入れさせて貰う所に、私は今日本当に驚きました。しかしもう親奥様もまあどうしてああ言う事を言われるのか分からん、是にどん乗りよりと、又ほんな事槍か風にやられるじゃろうと思う位な感じでした。けれども最低の所から最高の所へですね、内容です。
親先生が掛けておられたその安楽椅子に、合楽の先生あなたがここに掛け、ここに来なさいと言われる。そして思わせて頂く事は人間の運命というものは、もう日々その良い運命になるか、ならないかの何時も岐路に立っておると思うてです。腹を立てたり悔やんだり情けなかったりすると言う事はもう自分の運命を悪い方へ悪い方へ持って行きよると言う事なんですからね。是を有り難い方へ有り難い方へと持って行けれるね。
私は練習をさせて貰うて、それが触る所ではない、却って有難いなあと、ああいう本当に顔色変えてからやあやあ言いよる偉い先生達の事を思うて見てです、してから昨日は丁度百五十名先生方が見えておりました。そして行徳先生が言われました。今度は大坪先生、あんたの株が上がったばいち言うしゃった。どうしてですかち言うたらね、もう見よってご覧今度はあんた、皆んなあんたの良い見方、私もむごいうておったち。先生方に後から御直会の時に。
先生達もですね何とはなしにそのうそれは私昨日お広前に座っておりましたら。全然知らん教会の総代さん方とか先生方が今日は大変おかげを頂きましたと言うてから、告別式に行っておかげを頂きましたなんて聞いた事はないですけれどもね、そういう雰囲気の中に昨日一日が終わらせて頂いた。言うなら株まで上がり、言うなら居場所まで変えさせて頂けれる様な言うなら、運命というものはそういうふうにして変わって行く物です。成程私共がもう限りなくこう、上がって行けれるはずだと思うです。
何時もその事だけに取り組んでいるのですから。皆さんもう情けなかったり汚い心を起こしたりね、もう汚い心を起こしたらもうとにかく庭の外に置かれる運命がもうそこに始まっておると思わなければいかんです。だから自分で自分の心が拝みたい様な心がある時にです、是もうおかげになる、ならんはずはない、そういう確信が生まれて来るのです。一つあのー私は今度の、五日間のいわゆる葬儀全般に渡っての委員長を勤めさせて頂いておかげを頂いたなあと思いました。
同時に又、内容としておかげを受けておった事が本当に有り難いと思いましたが、沢山のあの、玉串を控えさせて貰う帳面が六冊暗い有りましたでしょう。その中を全部私は見せて頂きましたが、合楽が断然多いのです。合楽合楽です。所がその合楽信徒会というのが無かったです。あれは信徒会でやってなかったんでしょうね。合楽信徒会。勿論花輪がさせておりますからけれども、こういうところも手落ちの事だ、この頃父の時にもあちらの信徒会から来ておりました。
ここはだから私はあのう、言うときました。内の信徒会はですねあの、ひもろぎば二対しておりますけん、あの二対のあのひもろぎを、合楽の書いとって下さいち言いましたから、そりゃ書いとかにゃいかんち、早速書いて頂きましたけれどもね、もう本当にどこまでも行き届かせて貰わにゃならん。そして矢張りキチッとした事が出来なきゃならん。そして矢張り内容だということですね。とにかくあれを下がらせて頂いてからね、もう分かるんですよね。すぐ。
あれでやっぱり最高は五十万ちいうのが、是はまあ五十万じゃろうというた。重さで言った事でしたけれどもね、というのが御座いました。本当に思いを込めてしとかなければやっぱり相手が信心が薄かったり無かったりする人達は却って、こり積ませる様な事がある様な感じでした。私はここ五日間おかげを頂いてきた。そして今度御本部の御礼参拝が十八日の日から先生と総代さん方がお参りします。私も委員長として行かなきゃならんのですけれども、私が行くとお供が付いて来んならんですからね。ち
私が言いましたらほんなこっちゃなあて、それで十八日は月次祭でも御座いますから御無礼させて頂く。ならお礼のお初穂だけことずける事にすると言った様な事で今日は、丁度十二時頃にかかって帰って参りました。どうぞ一つ本気で内容に取り組ませて頂く。全ての事に勿論自分の心の内容が何時も運命の岐路にたっておるという思い方をさせて貰うたらです、もうとにかく馬鹿らしゅうして腹を立てたり汚い心は起こされんのです。
どうぞ。